「平和の森公園の草地広場を守ってください」寳樹稲荷社 (東京都中野区の新井天神北野神社境内、旧中野刑務所を守っていた神社)

寳樹稲荷社 (ほうじゅいなりしゃ)。新井天神北野神社境内。 (東京都中野区新井4丁目。2019/1/13、1/16撮影)

「平和の森公園の草地広場を守ってください」。

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願いきつね800円。願いごとを書いて奉納する。

 

稲荷のやしろの中に鏡。あなたが稲荷を見るとき稲荷もあなたを見ている感じ?

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稲荷の1対の狐のうちの1匹。

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稲荷全景。

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寳樹稲荷社の由来を書いた看板。

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 江戸時代後期の文化十四年 (一八一七) に板倉勝政氏により市ヶ谷の庭内に守護神として鎮守されたのが始まりである。

 平成二十七年 (注: 2015年) 十月、矯正研修所施設移転にともない、北野神社境内社・稲荷神社に合祀され現在に至る。

 尚、本殿横の寳樹稲荷社・社号碑 (背面由来書き有) は前鎮守地境内にあったものである。

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社号碑。

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社号碑裏面 (貼り合わせ写真)。

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[石碑表面]

寳樹稻荷社
笠間稻荷神社宮司中臣瑞比古書

[石碑裏面]

由來書
当寳樹稻荷社は江戸時代(文化十四年)板倉勝政が鎮守神として
現在の東京都新宿區市谷谷町の庭内に祀つたものである。
その後明治八年に中野刑務所の前身市谷監獄がその邸跡に
移転し引続き祭祀を継行してきたが更に大正四年三月当地
に移転するに際しここに遷座したものである

昭和四十一年二月四日
総代 中野刑務所長 岡野正隆

 

社号碑の前の「由来書」の碑。

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   由来書

 この寳樹稲荷社は 江戸末期 文化十四年 (西暦一八一七年) に 板倉勝政が 現在の東京都新宿区市ヶ谷住吉町に構えた屋敷内の 鎮守神として祀ったものである

 明治八年 (注: 1875年) 同地に市ヶ谷囚獄 (後の市ヶ谷監獄)が設置されて引継がれ 大正四年 (注: 1915年) 同監獄が豊多摩監獄 (後の中野刑務所) と改称され この地に移転するとともに遷座し  昭和五十八年 (注: 1983年) 中野刑務所が廃庁になるまでの間 同所職員会等によって引続き祭祀を行い その後 中野友の会会員など多くの奉賛者に護持され 今日に至っている

 稲荷社屋根葺替工事完成を機会に 久しくその由来を伝承し 万物の安泰と弥栄を祈願するものである

 平成三年 (注: 1991年) 三月 建立

 

【寳樹稲荷社の歴史】

1817年 市ヶ谷の板倉勝政邸で祀られる

1875年 同地に市ヶ谷囚獄 (後の市ヶ谷監獄) ができたがそのまま祀られ続ける

1915年 監獄が現在の中野区に移転、一緒に連れてこられ移転先 (豊多摩監獄=後の中野刑務所) に祀られる

1983年 中野刑務所が閉鎖。刑務所敷地のほとんどは東京都と中野区に払い下げられたが、稲荷の場所は矯正研修所の敷地内で祀られ続ける

2015年10月 矯正研修所移転を前に近くの新井天神北野神社の稲荷に合祀、現在に至る

 

中野区立図書館デジタルアーカイブ中野のまちと刑務所 中野刑務所発祥から水と森の公園まで』(著者/出版者中野区、1984年) p8-9。

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市谷囚獄は、大名板倉邸跡に建築されたが、この板倉が文化4年に邸内に鎮守の神として祀ったこの寳樹稲荷は、そのまま残して長く信仰。市谷監獄が中野に移転した際にいっしょに遷座。毎年2月の初午には、職員家族、近隣住民あげて祭祀を行っていた。

 

新井天神北野神社公式HPには寳樹稲荷社が合祀される前の稲荷の写真が2019年1月現在載っています。

http://araitenjin.com/img/inari-1.jpg

 (この画像は新井天神北野神社HPより直リンク。リンク切れの場合はインターネットアーカイブに保存されていますのでそちらを見てください)

祭神はウカノミタマ。稲作の女神のようです。寳樹稲荷社もウカノミタマで、合祀の場合どういうことになるのか知りません。

 

2015年以前、当時の法務省矯正研修所内にあった頃の寳樹稲荷社に私は行ったことがないため、他のかたのブログを参照します。

上記2012/12/19の記事の写真。右端に寳樹稲荷社の社号碑。

https://blogimg.goo.ne.jp/cnv/v1/user_image/76/51/cc1d6bcc6582f920533694f3f3ac36ba.jpg?dw=800,cw=800,q=80,da=s,ds=n

この画像はこのかたのブログの写真の直リンクです。リンク切れの場合はインターネットアーカイブをご参照ください。

 

どなたかが当時の動画も残してくださっています。

当時の写真と動画を見ると、鳥居の両側に短くて低いブロック塀が写っていますね。

2019年1月現在、ブロックはこの場所にまだ残っています。下の写真の鳩が2羽いる通路の奥の右側。右に入ると寳樹稲荷がありました (2019/1/22撮影) 。

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ブロックの間の鳥居をくぐると両側に大きな木が残る参道。下の写真でいうと元参道の奥にブロック、手前にはかつて稲荷のやしろがありました。 (2018/12/8撮影) 。

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この元稲荷の敷地とその南の土地は、隣接する平和の森小学校の仮校庭とするため工事をしています。右端の建物は民家 (2018/12/17友人撮影) 。

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元稲荷の場所に2019年1月上旬、仮設っぽい建物が建ちました。2018年10月に中野区が議会にした説明によると、仮校庭工事は「樹木伐採工事、ダスト舗装工事、防球ネット設置工事ほか」ということでしたが、稲荷の大きな木はもしかしたら切らないのかもしれません (2019/1/13撮影) 。

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仮校庭の施工は飛鳥で、工事のお知らせを見ると下請に造園業者がいないことも、稲荷の木は切られないかもしれないと思う要因です (2019/1/8友人撮影) 。

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中野区は2018年12月、この仮校庭用地とそのすぐ北側の土地を、平和の森小学校の移転予定地に繰り入れることを決めました。移転予定地の一部を占める大正時代のレンガ建築「旧中野刑務所正門」を壊さず動かさず現地で保存するためです。経緯と詳細は下記リンク先のまとめやブログをご参照ください。

 

中野刑務所は、中野区が熱心に運動した結果1983年に閉鎖され、刑務所の土地は南側の一部を法務省が矯正研修所および公務員住宅などとして持ち続けましたが、大部分は東京都と中野区に払い下げられました。

経緯は少し上で挙げた『中野のまちと刑務所 中野刑務所発祥から水と森の公園まで』(著者/出版者中野区、1984年) にも、

同じく中野図書館デジタルアーカイブにある『「みどりの防災公園」実現に向けて 中野刑務所移転運動の経過』(著者/出版者中野区、1981年) にも記されています。

『「みどりの防災公園」実現に向けて 中野刑務所移転運動の経過』に、寳樹稲荷社についての記載が。

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1980年10月17日、中野区とのやり取りで、法務省が刑務所閉鎖後に中野に残す施設のひとつとして寳樹稲荷社を挙げ「境内に面して南北に通じる通路を設置する」と話しています。

この「南北の通路」が、先ほどの写真で鳩2羽がいたこの通路ですね (2018/12/8撮影) 。

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刑務所を中野区から移転するよう求める運動の間、区内各所にこのような看板が掲げられていました (2018/10/26撮影) 。

「刑務所移してみどりの広場と避難場所」

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1983年、中野刑務所閉鎖。

中野区は、刑務所の敷地で国から払い下げられる土地を全部買うことは、お金がなくてできませんでした。

 

『「みどりの防災公園」実現に向けて 中野刑務所移転運動の経過』口絵「中野刑務所敷地」に着色。払い下げ国有地の範囲と寳樹稲荷社の位置。

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紆余曲折の末、対象の国有地のうち3分の1 を中野区が買い、東京都に残りを買ってもらって、東京都下水道局地下施設の地上部を含む広い敷地に1985年、念願の「みどりの広場と避難場所」をつくることができました。

それが平和の森公園です。

 

同 p40「跡地利用基本配置図」に着色。赤は中野区、青は都が購入。黄は引き続き法務省が持つ。なお左下の野方小学校の位置が現在の平和の森小学校です。

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現在の平和の森公園で、多目的広場 (野球場など) を含む北側のエリアは中野区の土地ですが、草地広場を中心とする南側は東京都が買った土地です。

 

同口絵「中野刑務所跡地公園基本計画図」。素敵な水とみどりの防災公園が計画されていましたね!

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平和の森公園のいわゆる「再整備」でいうと、区民の抗議を押し切って多くの木を切り2018年秋に工事を終えた第1工区は中野区の土地です。第2工区は北側のわずかな部分を除き都が買った土地。中野区は2018/11/15に、2019年7月末までを工期とする工事を始めました。

 

平和の森公園再整備は2018年6月の中野区長選挙で大きな争点となりました。選挙で区長を田中大輔氏から酒井直人氏に替えた後も区民の間に混乱をもたらし続けています。

2019年1月現在、事態はなお推移していますが、2018年秋ごろからの動きは下記リンク先のブログやまとめをご参照ください。

 

草地広場と木が守られることと、民主的な中野区政を願っただけなのに、なぜ今こんなことになっているんでしょうか。

100年以上、市ヶ谷監獄と中野刑務所を守っていた稲荷。もしかしたら草地広場も守ってくれませんか?

 

( r ) 2019/1/24記

 

【2019/2/2追記】

市ヶ谷監獄跡地も現在、開発の荒波にさらされているようです。

 

あと、 寳樹稲荷の右側のきつね。台座の足元を見てください(2019/2/2撮影)。

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元の矯正研修所にあった頃の寳樹稲荷のきつねと思われます(2019/1/31友人撮影)。

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友人からの報告によると、2019/2/1、寳樹稲荷のやしろの扉があいていました(2/1友人撮影)。

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やしろの中には鏡と「稲荷大明神」の提灯と、小さい鳥居が少なくとも3つ、とてもたくさんの願いきつねがありました。(2019/2/1友人撮影)

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