自民党の選挙にはシュプレヒコールやエプロン隊が登場する。21世紀の自民党が、左派が戦後の労働運動や学生運動、消費者運動で用いたツールを使って選挙している。興味深い。2021/10/28記 (敬称略)
シュプレヒコール
2021年10月31日投開票の衆議員選挙で、24日にJR中野駅北口で安倍元首相が街宣し、最後は当選1回の中野区議による「ガンバロー」のシュプレヒコールで締めたようだ。
安倍は首相だった2019年の参院選でも同じ場所で街宣した。このときは大勢のカウンターの怒号が飛ぶなか、別の当選回数の少ない中野区議がシュプレヒコールした。街宣のあと駅前広場の隅で、ぜいぜい息を切らす当該区議が先輩たちにねぎらわれる様子がカウンターにより現認されている。
労働運動
シュプレヒコールは労働運動の印象が強く、自民党がシュプレヒコールをするのを、私は以前から奇異に思っていた。
シュプレヒコール〖Sprechchor〗
①詩の朗読や踊りなどを組み合わせた合唱劇。また、舞台で一団の人々が一つの台詞を朗誦する表現形式。
②デモ・集会などでスローガンを全員で一斉に叫ぶ示威行為。
大辞林 第三版
オンライン版『精選版 日本国語大辞典』(小学館)によると、この手法は演劇などで古くから用いられ、「第一次世界大戦中、ドイツの労働運動にとり入れられて以来、集団によるスローガンの連呼の方法として普及した」という。
学生運動
シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため(《世情》1978年)
だって歴史たちが示している
シュプレヒコールもアジテイションもみんな
わめかなければ届くものじゃない
がならなければ振り向きもされない
なのに あの人が私にリクエスト(《ピアニシモ》2012年)
《世情》は東大紛争 (1968-70年) と安保闘争、《ピアニシモ》はおそらく自分自身の歌手としてのあり方を、歌詞の題材にしている。
すると、シュプレヒコール (あるいは歌) は、わめかなければ声が届かない学生 (あるいは歌手) が主張を目立たせるための手段であるということになる。
戦前の獄中デモ
もっと古くは、三・一五事件で、治安維持法違反により検挙され市ヶ谷刑務所に収監された30名が、検挙からちょうど1周年にあたる1929年3月15日の朝、獄中デモを決行し、以下のスローガン1をシュプレヒコールしたという証言がある。
一、劣悪な食事の改善
一、監房内の筆紙使用を認めろ
一、運動、入浴時間を延長しろ
一、書籍・雑誌を自由に読ませろ
一、弁護士に会わせろ
一、政治犯を即時釈放しろ
一、日本共産党万歳
(出典: 豊多摩(中野)刑務所を社会運動史的に記録する会編『獄中の昭和史』青木書店, pp.33-34, 1986)
このデモの参加者は、看守によりリンチを受けたあと瘋癲監(懲罰房)に3カ月以上入れられたという。
しかし
シュプレヒコールは最初は労働運動や学生運動に取り入れられた。戦後のデモや集会などでも盛んに行われた。自民党はいつから使うようになったのだろうか。
自民党の人は、この「ガンバロー」コールを左派っぽいとか思わないんだろうか? 同じガンバローでも左派の労働運動などは団結のアピールだが、自民党のは景気づけみたいなものだからいいんだろうか。
左派の方では、シュプレヒコールはだんだん昔ほどやらなくなってきている。デモは、2010年代のSEALDs以降、鳴り物を入れたテンポの速いリズム感のあるコールが主流になっている。
エプロン隊
今回の衆院選で、東京8区の自民党候補がそろいのエプロン姿の女性に囲まれているツイートが話題になった。
とくに話題にならなかったが、7区でも自民党陣営の女性はそろいのエプロン姿だった。
(運動員のエプロンに候補者の名前が書いてあるのは公選法的にどうなんだろうか)
国防婦人会
8区のエプロン隊の写真をみて、ツイッターでは国防婦人会を連想する人が多かった。
だいにほんこくぼうふじんかい【大日本国防婦人会】
1932年(昭和7)に成立した女性の軍事援護団体。出征将兵の歓送迎、遺族の慰問、防空訓練など、戦時体制の協力に努めた。国防婦人会。→大日本婦人会
大辞林 第三版
消費者運動
戦時中の国防婦人会は割烹着姿だったので、もしかしたら戦前回帰志向なのかもしれないが、そこまで遡らなくても、戦後の消費者運動も割烹着やエプロン姿だった。
1948(昭和23)年結成の主婦連合会は、〈「おしゃもじとエプロン」をシンボルに誕生し、戦後の消費者運動をリードしてきました 〉とホームページに書いている。
主婦の記号
エプロンは「主婦」の記号だ。いらすとやさんでも主婦はエプロンをつけている。
戦後の消費者運動は、家で着るエプロンをつけ外にデモに出た。つまりそれは、主婦が街頭にデモに出たということを表象していた。
自民党選挙は、外で選挙運動をする女性が家で着るエプロンを身につける。これは自民党の選挙を手伝う女性が主婦であることを表象している。
使われている界面は同じで向きが違う。
換骨奪胎
シュプレヒコールといいエプロン隊といい、21世紀の自民党は、昭和の大衆運動のツールを換骨奪胎して使っている。
シュプレヒコールは声の小さき者たちの抵抗手段だったのに、声が大きい与党の自民党がシュプレヒコールしている。エプロンの着用については消費者運動と自民党では、家の中と外と運動の方向が逆向きだ。
そういうのは、たぶん他にもあるだろうと思う。
懐古趣味?
懐古趣味なのだろうか? だとしたら自民党の選挙はどこへの回帰を有権者に示唆しているのか。
自民党改憲草案の内容などから、自民党は戦前回帰を志向しているといわれる。しかし自民党の選挙のシュプレヒコールやエプロン隊は、昭和でも戦後のものじゃないか。
もしや自民党にも学生運動出身者がいて、その人たちが自民党でもとくに考えもなく勢いでシュプレヒコールを始めたとか、そういう単純な経緯なのだろうか。
割烹着隊
わりと最近まで割烹着隊もあったようだ。下の自民党地方議員のブログに、2012年衆院選候補のために137人とかの割烹着隊を組織した話が出てくる。
割烹着は家事のときに着物のそでが邪魔だから着た。普段着の着物というものを着なくなった現代に選挙で女性たちがそろって割烹着姿なのは、コスプレの類いと考えていい。このブログにも割烹着を集めるのは大変だったと書いてある。
エプロンは「主婦」の記号だが、割烹着は「昔の主婦」の記号なので、もう割烹着隊までいくと戦前回帰志向かもしれない。
「順吾の一日」:かっぽう着隊 - livedoor Blog(ブログ)
ガンバローとエプロン隊の起源
このすごい時代錯誤的な写真をみて思ったのだが、自民党の選挙運動は、懐古や回帰が単に中途半端で戦前まで行きつかず、戦後の昭和くらいの時代で引っかかっているだけなのかもしれない。割烹着を集めるのも大変だし、そこまでしなくてもなんか古い感じにはなるし。
だとすると、自民党の「ガンバロー」シュプレヒコールも、左派の真似を意図してるわけではなく、本当は戦前の何かの代わりなのかもしれない。
万歳三唱
労働組合の集会の最後を「団結ガンバロー」で締めくくるのは、総評大会では1961年に始まったそうだ。前年まではなんと「万歳三唱」で閉会しており、1948年の総評新聞にも万歳三唱の記録があるという。
「天皇を祝する作法であった万歳が、戦後一転、左派といわれた総評大会で、しかも太田薫議長の発声でおこなわれていたとは驚き」と、高橋均「労働運動と労働者自主福祉運動の歴史を紡ぐ 4 団結ガンバローと万歳三唱の起源」労働者福祉中央協議会, 2015年. は記している。
労働者福祉中央協議会・高橋 均 | ページ 7 | 労働者福祉中央協議会(中央労福協)
団結「ガンバロー! ガンバロー! ガンバロー! 」と天皇陛下「バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ! 」がリズムもイントネーションも似ているのは、かねてから気になっていたので、この説明は納得できた。
結論
21世紀の自民党の選挙のガンバローも、戦前の万歳三唱の代わりなのではないだろうか。
シュプレヒコールやエプロン隊は、21世紀の自民党が単に戦後の左派の真似をしてるというより、戦後の左派が労働運動や消費者運動で、戦前の万歳三唱や国防婦人会の割烹着姿のフォーマットを借用し、自民党がさらにそれらを借用したという話だと思われる。
(中野非公式通信) &(く)
- 三・一五事件についてのスローガンは、小林多喜二『蟹工船』戦旗社, 1929 の現存3冊ともいわれる初版本無削除版に見ることができる。下に引用の2行目以降が本来の最終ページ p.233 であったが、検閲で最終ページが破り捨てられ、本の末尾が「三月十五日を忘るな」となったものだけが市場に出回った。そして、それらも後には発禁とされた。
三月十五日を忘るな
出典: 初版道 on Twitter: "小林多喜二『蟹工船』(昭和4年、戦旗社)の初版本無削除版… https://t.co/9CokUm9xsX" ↩
日本共產黨 萬歳!
三月十五日を銘記せよ。
日本共產黨 萬歳!
一九二八・三・十五!
田中反動內閣を殺せ!
共產黨 萬歳!
勞働農民黨 萬歳!
萬國の労働者 團結せよ!
三月十五日を覺えてろ。
三月十五日を忘れるな。
勞働者と農民の政府を作れ。
日本共產黨 萬歳!
2019年安部街宣の記事