立正佼成会付属佼成図書館(東京都杉並区和田)へ行ってきた。興味深いことに、ここには立正佼成会にとって敵(?)である創価学会発行の聖教新聞が創刊号から所蔵されている。今回はとくにある調査のため聖教新聞に連載された戸田城聖(創価学会第2代会長)著の小説『人間革命』を閲覧した。2024/5/11記(敬称略)
佼成図書館
東京都の杉並区と中野区にまたがる広いエリアに、仏教系新宗教のひとつ立正佼成会の施設が立ち並んでいる。
今回訪れたのは、そのうちのひとつ「佼成図書館」だ。

入館無料。15歳以上は利用可能。都民なら利用者カードも作れる。信者かどうかは訊かれないし、勧誘されるようなこともなかった。
宗教書・仏教書を20万冊所蔵しているほか、立正佼成会に限らず様々な宗教団体の機関誌‡を収集しているらしい。建物はとても大きくて立派だ。
注‡ 佼成図書館の蔵書目録(OPAC)上で新聞は、雑誌として分類されている。
創価学会の機関紙『聖教新聞』
今回の目的は、1951年から1954年の『聖教新聞』に連載された戸田城聖著の小説『人間革命』を閲覧することだ。
『人間革命』は、創価学会の"聖典"であるので、書かれている内容が史実であるかそれに近いと思っている人がいる。
戸田城聖や池田大作(創価学会第3代会長)の名で書かれた新聞小説は、単行本になるときや全集に収録されるときなどに、かなり自由に内容が編集される。そのため、たとえば作中のあるエピソードについて虚構か否かを論じたいというような場合には、原典の新聞小説に遡る必要が生じる。
古い聖教新聞はここにしかない
聖教新聞については、古いものを所蔵している図書館が筆者の知る限り佼成図書館しかない。国立国会図書館での所蔵は(1952/5/20, 1953/3/1を除き)1957年以降のもので、創価大学にいたっては1980年以降のものに限られる†。ちなみに、聖教新聞創刊号(1951/4/20)が収録された縮刷版は、オークションサイトで約15万円の価格がついていた。
立正佼成会と創価学会はどちらも日蓮系・法華系の宗教で、すごく仲が悪いようだ。敵(?)のことを知るためなのか、佼成図書館には創価学会の機関紙『聖教新聞』の古いものが創刊号から1176号(1965年)まで縮刷版で揃っている。ただし、1965年以降は、1177-5591が欠号、他にも欠号‡あり。
注† 宮田幸一教授(創価大学。創価学会教学アドバイザー)は、ブログ記事"高橋篤史著『創価学会秘史』への所感(2018.4.27up)"(インターネットアーカイブ)で、「高橋氏が入手困難な聖教新聞の記事をどのようなルートで手に入れたかは不明であるが、高橋氏が言及していないもう一つの矢島に関する聖教新聞の記事がある」「創価学会には膨大な資料が収集されているが、公文書館ではないのだから、それをすべて公開する義務はないだろう」と述べている。そして、福島源次郎、原島嵩、中西治雄を例にあげ「創価学会の公開されていない資料にアクセスできる職員が将来離れていくことも容易に予想できる」としている。
注‡ 1177から22084までの号で、次が欠号: 5684, 5793, 5815, 5850, 6056, 7431, 8036, 8861, 10359, 11387, 14316, 14369, 15199, 15415, 16407, 16428, 16595, 17217, 17737, 17765, 18019, 18150, 18151, 18758, 19039
戸田城聖『人間革命』の2つのバージョン
以下では、佼成図書館所蔵の聖教新聞版の戸田城聖著『人間革命』と国立国会図書館所蔵の単行本版の戸田城聖著『人間革命』(1957/7/3発行)を比較する。次の2つの点
にとくに注目し、収監直後の独房の引越しと牛乳瓶の蓋で作った数珠は虚構であると推定する。
なお、戸田が数珠を牛乳瓶の蓋で作った話は、池田が自著の同じ題名の小説『人間革命』で言及したために流布し、のちに丹波哲郎が戸田城聖役を演じた映画『人間革命』で映像化された。通したものが何であるかについては糸、ヒモの2説がある。
差し入れの牛乳ビンの蓋をためて、それを糸で通し、数珠を作った。
- 池田大作「黎明」『人間革命』(引用元は池田大作全集。初出は『聖教新聞』(筆者未確認))
牛乳ビンの紙製の丸いフタにヒモを通して作った、世にもまれな数珠
- 池田大作「生命の庭」『人間革命』(引用元は池田大作全集。初出は『聖教新聞』(筆者未確認))
収監当時の戸田と言葉を交わした看守が最近になってようやく重い口を開き自分の息子に語ったとされる証言(朱色部分)が、戸田城聖生誕100周年(2000/2/11)を記念する池田の随筆中にある([ ]は筆者§)。
先生は、牢獄の中にあっても、取り調べの検事や、看守に対し、堂々と、仏法を語り、折伏されたのであった。
当時、看守をしていた人の証言を[その息子に]伺った。
ーー見回りで、戸田先生の独房の前を通ると、常に朗々と唱題の声が聞こえてくる。
中を覗くと、端座した先生が、牛乳瓶の蓋で作った念珠をもち、題目を唱えている。その前の小机には、一冊の本が置かれていた、と[看守がその息子に]語っていた。
ある日、その看守は、独房の扉を開けて、戸田先生に話しかけた。
「私も、題目を唱えたことがあるんですよ」
「何の題目ですか」
「鬼子母神に南無妙法蓮華経と唱えるのです」
「君、それは間違いだよ。この題目はすごい力があるんだ。僕の題目が本当の題目だ。君の信心は、大きな間違いだよ」
この方[看守]は、出獄後の戸田先生とは、直接、言葉を交わす機会はなかったが、仏縁であろう、一九五六年(昭和三十一年)に入会しておられる。
- 池田大作「恩師の獄中闘争:創価の原点 広宣流布」『随筆 新・人間革命』聖教新聞, 2000年2月11日 (『池田大作全集』130, pp.332-333)
つまり、牛乳瓶の蓋で作った数珠が虚構となれば、いわゆる"戸田の獄中闘争"(獄中で戸田が看守らを折伏していたこと)にも疑念が生じる。
注§はここに折りたたんであります
注§
池田が、看守の証言をだれに聞いたかについては、随筆の文章だけからは判然としない。
「伺った」という謙譲語からは池田が自分より目上の看守に直接聞いたとも解せるが、「語っていた」がいわゆる"非完結相"(動作・作用の完了した状態がそのままたもたれていることを表す)でありしかも敬語でないという悪文になる。
そこで、池田の随筆を読んだ看守の息子による次の読者投稿を手がかりに、証言は、看守の言葉を前に聞きとって覚えていた息子から間接的に池田が「伺った」のだと解釈し、[ ]内に補った。

看守の息子(東京都北区の支部長)は、「二月十一日に掲載された『随筆 新・人間革命』の『創価の原点 広宣流布』を読んで、驚きました」と述べたあと、父から聞いた話を今さら池田に語った理由として「父は無口で多くを語ろうとせず、最近まで詳しいことは知りませんでした」と説明している。家族が創価学会に入ったのも、「近所の人の勧めで昭和三十年に母と妹が、三十一年一月二十六日に、父と兄、私が入会しました」と述べ、獄中の戸田と言葉を交したことよりも、むしろ近所の人の勧めによるものだと認めている。
なお、「と語っていた」を境に、文章の視点が看守から著者に戻っているので、鬼子母神に題目をあげる云々のくだりは看守の証言と無関係に池田が盛った部分と解される。
独房の位置
巌さん(戸田)が東京拘置所に到着して、最初に入った独房とそこから移った独房について、新聞小説版は次のように描写している。


いく曲りかし、幾つかのドアをすぎて二階に上つた左側のとつつきの部屋へ入れと云われて、ハハアこゝが自分の独房かと始めて気がついた。
- 戸田城聖「二撃 2」『人間革命(105)』聖教新聞, 1954/4/11
入獄してから十日目頃の事、突然看守長に呼び出された。看守長は只一人で居つた。三十五六年輩の目の底光りするきりりとした男であつた。丁寧な口調で
「今日から部屋を三十二号に移して上げる。あの部屋が看房では一番陽当りの良い明るい部屋なんだ」
- 戸田城聖「外援 1」『人間革命(109)』聖教新聞, 1954/5/23
単行本版では次のようになる。
燭光の弱い電燈がところどころに点つている陰気な通路を幾つか曲り、幾つか扉を潜り、階段を登ると、二階の取つ附きの北側の部屋へ入れられて、そこが独房だとは気が付いたが、[略]
- 戸田城聖著『人間革命』1957/7/3発行単行本, 二撃, p.426
看守長に呼び出され、針の文字が問題になつたのではあるまいか……彼が胸騒ぎを覚えながら行くと、看守長は部屋に独りいて、底光りのする眼を柔和に向けていた。
『今日から部屋を三十二号に移してあげよう。独房で一番陽当りのよい部屋なんだ』
- 戸田城聖著『人間革命』1957/7/3発行単行本, 外援, p.435
舞台となった東京拘置所は、南南西の根もとからフォーク状に北北東に突き出した形をしており、二階に上がって「左側」は西北西向きの房である。
32号の独房は東南東向きの房であることが知られている(参考: 神山茂夫 (1963)『愛する者へ : 神山茂夫獄中記録』)。作中では陽当たりを理由に32号に引越しているのだから、単行本版の「北側」は西北西向きの意味と解されるだろう。
ここで、32号が「一番陽当りの良い明るい」、あるいは「一番陽当りのよい」といえるかどうかには議論の余地がある。なぜなら東京拘置所においては、半数の独房が西北西向きであり、残りの独房が東南東向きだからだ。東南東向きのすべての独房は、陽当たりに関し同条件である。
単行本版で「左側」がわざわざ「北側」に書き替えられていることと、「一番陽当りの良い明るい独房」というセリフでの強調が過ぎることから、この発言をした看守長が巌さんの友人の友人という設定で、コネがあることをことさらに強調する意図があったと考えるべきであろう。
したがって、東京拘置所で最初に入った独房から32号へ引越したという上のエピソードは、友人の友人としての看守長の設定を補強するための伏線、ひいては虚構に過ぎないと考えられる。すると、これは刑事施設の間取りの話でもあるので、雑誌『総合』の神山・戸田対談における
神山 あんたの記述はずいぶん違っているよ。警視庁の房の間取りなんかも勘違いしている。
戸田 それは勘違いなんかしてはいないのだよ。小説というものは……。
神山 そうそう、そういって逃げるだろうと思った。
戸田 あんなもの、ほんとうに書いたらおかしくなるよ。
とも整合する。
なお、巌さんが看守長に会う前に「胸騒ぎを覚え」たのは単行本版だけである。これは、布団の中から出てきた針に関する次に述べるエピソードで張った伏線が回収できてなかったからである(後述)。
布団の中からでてきた針
作中に、独房の布団の中から針が出てきたというエピソードがある。出てきた針を巌さんは、しばらくのあいだ文字を書く道具として用いたのち看守に渡す。独房にあってはならない針を入れたということで、自分の責任が問われるのをおそれた看守は、巌さんを平手打ちにし「針のことは誰にも言うな」と命じる。
このエピソードについては、2つのバージョンで大筋が一致しているものの、細部はかなり異なる。
新聞小説版ではこう書いてある。

看守の目にはろうばいの色が現れた。看守にとつては暗号電文以上の重大事件が起つたのである。何故かと言うと、針とか紐とか云うものは、囚人の自殺にごく便利なものである。これは絶対に独房には入れない事にしてあるのだ。これが入つていたと云うことは看守の重大な責任を受ける原因になるのである。
- 戸田城聖「二撃 5」『人間革命(108)』聖教新聞, 1954/5/16
単行本版では暗号電文のくだりや「ごく」、「重大な」が削除されるなど、表現が弱められている。
看守は烈しい狼狽の色を見せながら針を持つて行つた。
囚人の自殺には針や紐は便利な品物で、独房には絶対に入れないことになつている。だから、このことが上司の耳へ入れば、看守の過失になつて責任を問われるのだ。
- 戸田城聖著『人間革命』1957/7/3発行単行本, 二撃, p.434
「このことが上司の耳へ入れば」という留保が追加されているのは、看守長が友人の友人であるという設定に合わせるためであろう。
なお、紐についての「独房には絶対に入れないことになつている」は虚構である。当時の未決囚は独房に、黒いモスリンの兵児帯、ふんどし、数珠といった紐を持ち込めた(参考: 正木亮(1937)『監獄法概論 新訂増補(訂7版)』有斐閣)。作者の戸田自身も、宮本顕治が大島紬の着物を着て(散歩して)いたことを認めている(上掲の神山・戸田対談を参照)。
牛乳瓶の蓋
仏教は各宗派によって用いられる数珠が異なる。作中に、獄中の巌さんが牛乳瓶の紙蓋で数珠を作るエピソードがある。
新聞小説版での、数珠を作る箇所と、1944年11月中頃のいわゆる"獄中の悟達"(虚空会の儀式への列座)の直前の箇所を次に引用する。


題目を上げるのにその数を数えるために数珠が欲しいと思つた。差し入れの効く数珠は念仏の数珠だけだとかそれも面倒だと云うので断念して牛乳のふたになつている日附入りの丸いボール紙を糸でつないで数珠のかわりにした。今では彼の準家宝であるそうだ。食事をかんで吐き出して酒になるかどうか実験用の牛乳びんの安全なかしく場所をこしらえる事が出来た。
一枚の木綿の布をもつてそれをほごして糸にして着物のほころびを縫う材料もじゆんたくにこしらえた。針は入用に応じてその都度かりる事が出来るのでその点には不自由はない。
- 戸田城聖「獄窓の生活 2」『人間革命(112)』聖教新聞, 1954/6/13
十一月の中頃、朝の太陽の光りが三尺程の窓へ差し込んでいた。朝の行事を終つた巌さんは、清々しい気持で太陽に向つて、心に大石寺の御本尊を念じ乍らお題目を唱えていた、百八十万遍台の題目である、此の春三月頃から題目の数を数え出したのであつた。数のふえる事は楽しみなものであつた。この日彼は題目の数が進むにつれて心はしんしんと落ちついて来て何とも云えぬ楽しさが湧き出て来た。
- 戸田城聖「人間革命 2」『人間革命(完)』聖教新聞, 1954/8/1
単行本版での対応する2箇所を次に引用する。
題目を上げるのに数を数える数珠がほしいと思つたが、念仏の数珠しか許されないらしいので、牛乳の壜の蓋になつている日附入りの丸いボール紙を糸でつないで数珠の代りを拵えた。
その数珠は、出所後、巌さんの家の準家宝になつている。
飯粒を噛んで吐きだして、それが酒になるか、どうか……彼の楽しい実験用の牛乳壜の安全な隠し場所も出来た。一枚の木綿の布を丹念に解して糸にして着物の綻びを縫う材料も拵えた。
- 戸田城聖著『人間革命』1957/7/3発行単行本, 獄窓の生活, p.443
東の空へ昇つた太陽が独房の窓へ射し込んで、牛乳壜の丸い蓋で拵えた数珠を手にしている巌さんの額や鼻の辺を琥珀色に染めており、時々陽射しを跳ねて眼鏡が光つている。
今年になつて数えはじめたお題目は、百八十万遍を越えている。
毎朝と同じように、今朝も、彼は大石寺の御本尊を心に念じながらお題目を唱えているが、数が進むにつれて、春に降る雪を見るよう、しんしんと心が落ち着いてきて、清々しく、ほのぼのとした楽しさが湧いてきている。
- 戸田城聖著『人間革命』1957/7/3発行単行本, 人間革命, p.463
新聞小説版では巌さんがどういう数珠を使って"悟達"したかが書かれていない。それなのに、単行本版ではわざわざ「牛乳壜の丸い蓋で拵えた数珠を手にして」と書かれている。かりに新聞小説版で作者が数珠の種類を書くのを失念しただけとするならば、それはお題目といえばもちろん数珠で、そしてその数珠は言うまでもなく通常用いるあたりまえの種類のものだったからということになろう。実際、作者の戸田は、戸田城聖『若き日の手記・獄中記』に収録された書簡(1944/2/23付)の中で、数珠を差し入れしてくれと書き送っている。
また、単行本版では、「(拘置所で)針は入用に応じてその都度かりる事が出来るのでその点には不自由はない」という、読者が受け入れ難い設定が削除されている。この設定は、布団の中から出てきた針のエピソード(上述)とも矛盾しており、よしんば「入用に応じて」に「管理下や許可で」が含意されるにせよ、独房の中で牛乳瓶の蓋に針で穴をあけられる説明にはならない。この一文を削除する際、作者は、針の文字のエピソードで張った伏線が最後まで回収されていないことにも気がついたのだろう。なぜなら独房の引越しエピソードに、「針の文字が問題になつたのではあるまいか……彼[巌さん]が胸騒ぎを覚え」たという心理描写が追加されているからだ。
上の2点からだけでも、牛乳瓶の蓋で作った数珠というものが虚構であると知れる。酒作りの実験エピソードのついでに牛乳瓶の蓋で作った数珠についての伏線を張ったのに、肝心の最後のところで回収し忘れた。それに気がついて、単行本版で追記しただけではないか。
なお、百八十万遍を越えるお題目をいつから数え始めたかについても、新聞小説版では「此[1944年]の春三月頃から」、単行本版では「今年[1944年]になつて」と異なっている。両方のバージョンを読んだ人に、もしかして戸田は獄中でお題目の数を数えてなんかいないのではとさえ疑われてもしようがないと思う。お題目を数え始めた時期の問題については、牛乳瓶の蓋の数珠。 - 気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆ でも考察されているのでぜひ参照されたい。
(く)
付記: 作中で蓋が「日付入り」とされたことにも疑念が呈されている。
戸田版人間革命の「牛乳の壜の蓋になつている日附入りの丸いボール紙を糸でつないで数珠の代りを拵えた。」の記述が謎。昭和18年当時、東京で牛乳を生産していたのは統制企業の東京乳業しかありえず、当時の蓋は日付でなく曜日記載(牛乳自体が日持ちしない為)。少なくとも事実の精確な記述ではない。 https://t.co/t6aHqiroJW
— さかーきー (@sakakihirosshi) May 14, 2024