概要
かつて準公選制が誇りだった東京都中野区の教育委員会は、見る影もなく弱体化した。 2021/2/22記
教育委員会は、政治的中立を確保し、地域の実情に合った教育行政を行うことを目的として設置された行政委員会で、教育長及び4人の委員をもって組織される合議体の執行機関です。
(中野区公式ホームページ)
現在の選任状況
教育長と委員2人の後任人事
2021年3-4月に中野区教育長と、4人の教育委員のうち2人が任期終了する。
入野貴美子教育長の後任はどうなるか。あるいは留任なのか。酒井直人区長は2018年区長選挙で「教育長は民間人を登用」を公約としたが、区議会野党の自民党と公明党の同意が得られず、前回は教育畑の入野氏を選任した(下記記事とまとめ参照)。「民間人を登用」の公約は実現するだろうか。
小林福太郎委員(元品川区立中学校長,元中野区指導室長)と渡邉仁委員(医師)の後任はどうなるだろうか。小林委員の後はやはり元公務員なのだろうか。渡邉委員が占めていた中野区医師会の定席はやはりそのままなのだろうか。
区長は3人の後任の同意人事を中野区議会に提出する予定だ。
提出された場合、2021年3月23日の本会議で採決されると思われる。結果が分かったらまたお知らせする。
委員構成の変遷
準公選制廃止以降の中野区の教育委員の構成は次のようになっている。弁護士が居なくなり、公務員、医師、教員ばかりとなり、多様性がなくなった。
推薦登録者選任復活なるか
今回の後任人事の前、自薦他薦の募集を経て、2020年12月に中野区教育委員候補者人材の推薦登録者14人が公表された。
立派な人が何人もおり、バラエティに富んだ人材が多く登録されている。しかし推薦登録制度は有名無実化していて、このリストから近年はまっったく選ばれていない。今回はどうだろうか。
2020年12月19日に行われた推薦登録者の意見発表会の内容は2021年2月26日に公表。↓
形骸化した区民の声反映のしくみ
教育委員準公選制
かつて中野区は、区民が推薦した候補に区民が投票する、全国で唯一の教育委員準公選制を区民の直接請求によって導入した。「準」というのは、投票結果を「参考」に区長が教育委員候補を選び、議会の同意を得るしくみだったからだ。
1992年に中野区が製作した下記の動画は、1993年に第4回教育委員準公選が行われることを周知する内容で、準公選制のシステムが説明されている。
中野区企画部広報課編『あなたの声をとどけたい 教育委員候補者選び区民投票の記録』
中野区の教育委員準公選は、1981年の第1回(評論家俵萠子、児童文学者森久保仙太郎、主婦連会長高田ユリ他1名を選任)と1985年の第2回が青山良道区政で、1989年の第3回と1993年の第4回が神山好市区政で実施された。
準公選制廃止
1994年1月「教育委員候補者選定に関する区民投票条例を廃止する条例」が、共同通信の記事(注*)によると、住民ら約200人が抗議するなか、中野区議会で自民、民社、公明の賛成多数で可決された。そのためこの第4回が最後となった。社会、共産両会派は反対した。
共同通信によると、自民党本部は「違法な区民投票の廃止」を歓迎し、当時の赤松文部大臣は「文部省の長年にわたる指導がようやく理解された」と評価した。
*1994/1/31共同通信社配信記事「教育委員の準公選制廃止 実質13年の歴史に幕 中野区議会で可決」
代わりに作られた推薦登録制度
上の画像は、1994/2/13なかの区報に掲載された、教育委員準公選制廃止についての神山区長(当時)のコメントだ。準公選制に代わる区民の「新たな参加の手だて」をつくるとしている。
区民の声を反映する新たなしくみとして導入されたのが推薦登録制度だ。
中野区の教育委員候補者に係る人材推薦登録の仕組みに関する要綱
1996年の下記動画で、中野区がこの新たな制度を紹介している。
『わがまち なかの 第21号』 (中野区広報番組)
推薦登録制度は有名無実化
しかしこうしてつくられた推薦登録者のリストからは、初回こそ3人の教育委員が選ばれたが、その後は2人、2005年に1人となり、その後は全く選ばれていない。「新たな参加の手だて」として導入されたはずのこの制度はすっかり形骸化した。つまり現在までに、中野区の教育委員選定に区民の声は反映されなくなった。
教委の権限一部剥奪
準公選制を失った中野区教育委員会からさらに、田中大輔前区政で権限の一部が剥奪された。
1990年代に制作された上の2本の動画は、教育委員の選任方法だけでなく、教育委員会の活動も紹介している。当時はまだ、学校教育だけでなく、生涯教育などの社会教育やスポーツ、文化行政や文化財も教育委員会の仕事で、もみじ山文化センターや中野区歴史民俗資料館も動画に登場している。
権限は区長部局に
2011年、文化財保護や社会教育などの権限が中野区教育委員会から引き剥がされ、所管が区長部局に移された。文化財行政の所管の件は、違法の疑いも含め下記記事で詳しく書いた。2021年2月の区議会で立憲民主党の斉藤ゆり議員が社会教育の所管を問題にした件も追記した。
2本の動画を見ると、当時は教育委員会と区民が協力して社会教育事業などを行っていたようだが、2011年に文化施設であるもみじ山文化センター(なかのZERO)や文化財を展示している中野区歴史民俗資料館も、教育委員会から区長部局に管轄が移された。なかのZEROは指定管理、れきみんは委託により、いずれも民間企業の管理となっている。
中野区議会決算特別委員会 総括質疑予定稿 公園と文化施設について – 中野区議会議員 小宮山たかし 思い出洋品店ブログ
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なお2011年には、元は区長部局だったが教育委員会が管轄していた弥生復元住居(旧平和の森公園)、上高田公園、哲学堂公園、妙正寺川公園が区長部局に戻されてもいる。体育館やプールなどのスポーツ施設も2011年に教育委員会から区長部局の所管となった。
区立図書館はさすがに図書館のまま教育委員会に残されたが、これも2013年に指定管理になった。
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法務部と監査委員について
この項は教育委員会以外のことだ。
中野区の法務部は、かつては自前で顧問弁護士と契約していた。田中区政の2003年頃に自前の対応を変更し、訴訟などの際、特別区人事・厚生事務組合が中野区の代理を務めるようになった。
監査委員については、2017年の地方自治法改正で議員を委員に入れないことができるようになり、その方が合理的なことから一部自治体は議員の監査委員を廃止または減らし識見を有する委員(弁護士などを含む)を増やしている。
中野区の監査委員は元中野区総務部長(代表監査委員)、税理士、区議会議員2人の計4人だ。
2021年2月19日の区議会本会議一般質問で、無所属むとう有子議員が中野区も区議の監査委員を廃止または減らし識見を有する委員を増やすことを検討するよう求めた。酒井区長は「条例に議員2名とあり、識見を有する委員2名とバランスが取れている」「意見を受け止め議論の端緒としたい」と、中野区が改正から4年もたって検討すらしていないことを明らかにした。
中野区は自らの組織の体制を自ら弱体化して(監査委員の場合は強化しないままで)いるように見える。特に、コンプライアンスが必須な地方自治体としては、弁護士の活用は増やしたほうがいいと思うのだが増やそうとしていないし、ここで挙げた事柄だけみればむしろ減らしているようにさえ見える。理解に苦しむ。
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