東京都中野区文化財保護審議会が傍聴できるようになりました(2024年3月)

東京都中野区が紆余曲折の末、文化財保護審議会を公開した。公開第1弾の会議を私たちの仲間が傍聴したのでレポする。2024/3/20記

これまでの経緯

紆余曲折の内容は下の過去記事参照。

ハウツー傍聴

いつ開催されるか

文化財保護審議会が公開になって、中野区は公式ウェブサイトに同審議会のページをつくった。

審議会の開催予定や後日公開される議事録はこのページに掲載される。今回の会議は2024年3月19日14時から中野区立歴史民俗資料館(中野区江古田4)で開かれた。

文化財保護審議会が開かれた中野区立歴史民俗資料館。2024/3/19撮影

傍聴受付

会議が始まる30分前に会場の1階研修室前で傍聴受付開始。紙に住所と名前を書くと、次のような注意事項(受付番号がついているからおそらく傍聴券兼用)を渡された。

中野区文化財保護審議会(傍聴券兼)注意事項(2024/3/19の会議分。画像は一部加工)

中野区議会や中野区教育委員会は傍聴人にも審査日程/議事日程(審議案件の一覧)の紙を配布するが、それはなかった。冒頭に議決があるとのことで傍聴人は14時を少し回ってから会場に入れた。

傍聴してみた

入ると、ラウンドテーブル状に配置された席の、奥に正副会長、向かいに中野区職員数名、左右に他の委員が座っていた。委員名簿は次の通り(中野区HPより)。

ちなみに関連組織の中野区教育委員会も、定例会で委員と区職員がラウンドテーブル状に座る。人数が少ない場合の会議はそうすることが多いのかもしれない。資料はプロジェクターでスクリーンに写しだされる。

礼を言われびっくり

審議会長を務める大石学・東京学芸大名誉教授(近世史)から冒頭、今回から区民が傍聴する旨の告知があり、傍聴席に向かい「感謝お礼申し上げます」と発言があったので驚いた。

文化財保護審議会を頑なに公開しなかった理由について、中野区区民部の前任担当者は区議会で「審議に当たりまして、審議事項に公正かつ適正な意思決定がそがれる、そういったことを理由としまして、これまで非公開としている」(2022/8/24中野区議会区民委員会)と答弁していた。

こういう言い方をすると、まるで委員の意向のようにも聞こえるのだが、おそらくは前任担当者のその場限りの出まかせの理由だろうと思っていた。審議会長の発言から、委員が非公開を望んだわけではないことが確認できて安心した。

縄文、弥生遺構など

この日の議事は、区の現担当者の発言によると盛り沢山ということで、メモを取った中から印象に残った部分をいくつか書き出してみる。

区から2023年度埋蔵文化財調査実績の報告があり、哲学堂公園庭球場の工事で縄文時代の遺構、竪穴住居、近世の道路状遺構など、弥生町で弥生時代の竪穴住居、本町では縄文遺構と、太平洋戦争時の防空壕から埋戻された焦土を大量に検出、その他の成果があったという。旧中野刑務所の埋蔵文化財調査で出てきた刑務所施設の遺構についてはあとで別に報告があった(後述)。

発掘実績については、考古学を専門とする渡辺丈彦・慶應大教授が多く発言した。哲学堂庭球場の発掘は「試掘で900平米も掘ったのだから、ちゃんと報告書を作成した方がいい」と要望し、区側からは検討する旨の回答があった。渡辺氏は旧中野刑務所正門の埋蔵文化財調査にも参加し「大変に感激した」ので「旧中野刑務所正門以外も情報提供してほしい」また「主な発掘をするときは教えてほしい」とも発言していた。

せっかく専門家の知恵を借りられるのだから、区は委員側に詳細に情報提供してほしいと思った。

防空壕について大石会長から近所の高齢者から当時の状況を聞き取り調査してみてくださいとの要望。区は近くの寺には聞いたが知らないという話だったという。

哲学堂公園の樹木

哲学堂公園(国指定名勝)では、台風で桜が倒れ、地震で"無尽蔵"(建築物)が傷むなど現状変更があり、文化庁に毀損届を出したと区から説明があった。虫害によるシラカシの大木の除伐もあり、それについても毀損届を出すよう委員から意見が出された。また哲学堂公園再整備計画のオープンハウスには2日間で47人が来場した。

中野サンプラザの展示

ついで区から歴史民俗資料館の年間スケジュールが報告された。

(中野区立歴史民俗資料館『2024年度展示・イベント年間スケジュール』より)

2024年10−12月に中野サンプラザの50年の歩みをたどる展示を予定。中野サンプラザに関する「段ボール100箱以上」の資料が区かられきみんに寄せられたそうだ。大石会長は「本気を出せば全国から人が来るのでは」と期待を表明し、区側も区役所周辺などで展示の周知を考えていると話した。

中野刑務所正門の3つの塀

旧中野刑務所正門(旧豊多摩監獄表門)は、その場所に平和の森小学校の新校舎が建設されるため、今年4月以降に西に100メートル曳家で動かす工事が予定されている。進捗状況と、工事に先立って行われた埋蔵文化財発掘調査の結果が報告された。審議会に報告された資料も後で公開されると思うが、先に中野区議会区民委員会で行われた同趣旨の報告の資料は次の通りだ。

2024/3/11中野区議会区民委員会資料「旧中野刑務所正門の移築・修復工事に係る進捗状況について」

上の資料にも記されているが、発掘調査の結果、正門西側と東側の塀は3度にわたり構築されていたことがわかったという興味深い報告があった。つまり創建時(1915(大正4)年竣工)の煉瓦塀、関東大震災(1923年)後につくられたコンクリート「仮塀」、1931(昭和6)年に竣工した煉瓦混コンクリート塀で、時代によって位置も変わっている。

渡辺教授は、門は門としてだけあるのではない、区画施設とともにあるもので、今回の発見で門の価値が格段に飛躍したと思う、と評価した。

正門には「上敷免製」の刻印のある煉瓦が使われている。今回の調査で別の種類の煉瓦が複数出土した。

発掘調査の結果は報告書がまとめられる予定。

2024年4月から2025年7月までの移築工事期間のうち、曳家自体は区によると「1カ月かからない」。工事は透明フェンスの部分は外から見ることができるが、大石会長は「区民で見たい人もいるのでは」「文化財行政をアピールする機会になる」として、曳家の見学会を検討するよう区に求めた。区は「見学会はできるともできないとも言えない」と言葉を濁した。

いや、やろうよ。

大石会長は、「審議会はもともと正門を現地に残してほしいとしていたが曳家ということになった」と釘を刺した上で、出土したものを保存するのは難しいのか尋ねた。区は一部を門の中で展示することを考えている、れきみんや新区役所などいろいろな場所を使って門を周知していく所存という。

登録文化財

区から、登録されていないが地域で親しまれている、あるいは私的に所有されているような文化財をどのように調査し保護することができるかについて委員に意見をきいた。新宿区や浜松市が行っている、文化財登録に準ずる新たな制度についても言及があったので、検討する用意があるのかもしれない。

これをうけて大石会長から、「いままで審議会ではでてきたものを審議していたが、これからは提案していきたい」との発言があった。委員からも、東日本大震災の復興に自身が携わった経験から、文化財文化財になり得るものの保護がうまくいった自治体はそれらをあらかじめ把握できていた、だから中野区もかつて行っていたような建築物や石仏といったカテゴリ別の悉皆調査を再度行うべきだという意見が出た。台東区には文化財指定候補リストの制度があるとか、無形のものも把握すべきとか、中野区だと制度をつくったとしてどこが窓口になるのかといった発言もあった。

この時点で開始から1時間半ほど。

この後の議事は、今後の文化財登録に関するもので、個人情報を扱うため非公開となった。区の前任担当者は審議会を絶対に公開しようとしなかった理由を「所有者の私権に係る部分」があるとも答弁していた(2022/8/24中野区議会区民委員会)が、このように、差し障りがある部分に限って非公開にすればいいので、この理由もやはり、その場限りの口から出まかせという理解で合っていたと思われる。

感想

審議会の先生方は錚々たる面々で、中野区の文化財行政を真剣に考えてくださっていること、各々専門的な知見に基づき区側に意見や疑問を表明していてくれていたことがわかってよかった。もちろん、諸々専門家の知見が聞けてとても興味深かった。

あと上にも少し書いたように、区の前任担当者による傍聴拒否の理由は、区の前任担当者によるその場の出まかせだろうと思っていたけど、やっぱりそのようだったので、専門家の良心が信じられたのもよかった。

それから区は、せっかく会議を公開にしたのだから、審議会のページだけでなく区ウェブサイトのトップページや区報でも傍聴できる旨を告知するとともに、区民活動センターで説明会などが開かれる時のように、会場の建物(歴史民俗資料館)の入口を入ったところに、当日、審議会が開かれていて傍聴できる旨のお知らせを立てればいいのにと思った。

(中野非公式通信) & (く)