いったん現地保存が発表されていた旧中野刑務所正門、移設すべきとの意見を中野区教委が決定。意見の実現可能性には疑問 (2020年9月)

概要

中野区教育委員会は2020年9月4日、東京都中野区新井にある大正時代のレンガ建築、旧中野刑務所正門の保存場所を平和の森小学校の「予定地以外で確保されたい」(=移設すべき)との意見を議決した。しかし詳細に見るとこの意見をその通り実現するのはほぼ不可能と思われる。なんのつもりだろうか。2019年2月に、門を現地保存するといったん発表した酒井直人中野区長は、その後なんとなく決定撤回し、中野区は方針を再検討中だ。

教委の「意見」全文と、教委が参考にした中野区文化財保護審議会「答申」の全文を記事末尾で公開する(追記参照)。

2020/9/5記

 

中野区教育委員会の「意見」

東京都の中野区教育委員会は2020年9月4日の定例会で「旧中野刑務所正門の保存及び公開の場所は、真正性を失わない範囲で、学校予定地以外で確保されたい」とする意見を議決した。

この「意見」の全文は、末尾に貼ったので参照されたい。

理由として教委は「旧中野刑務所正門を現在の場所で保存及び公開することになると、新校舎を建設するための校地面積及び地形が確保できず、当該用地内で適切な教育活動を遂行することが難しくなる」とした。

これは、旧中野刑務所正門が区立平和の森小学校の移転予定地(現在は国有地)内にあることから、門を現地保存すると新校舎の敷地が狭くなり配置が制約を受けるとの指摘を指している。

 

「意見」に至る経緯

2019年2月1日

酒井区長が記者会見で、旧中野刑務所正門を現地保存し都文化財指定を目指すと発表。

10月

中野区の委託で、門の曳家(移設)は技術的に可能とする「旧中野刑務所正門学術調査報告書」が作成される。

12月19日

中野区教育委員会が「旧中野刑務所正門にかかる文化財的価値並びに保存及び公開又は平和の森小学校新校における良好な教育環境の確保について」酒井区長から意見を求められる。

2020年1月16日

教委が中野区文化財保護審議会に「旧中野刑務所正門の文化財的価値並びに保存及び公開について」諮問。

7月30日

同審議会が教委に答申。

9月4日

教委が「意見」を議決。

 

実現可能性

2019年10月に作成された中野区の「旧中野刑務所正門学術調査報告書」は、門を平和の森小学校移転予定地内で西に100m、いわゆる「まちづくり予定地」まで曳家(移設)するのは技術的に可能とした。

ひきや【曳家・引家】
建築物を解体せずにそのまま水平移動させて、他の場所に移すこと。曳舞。
大辞林 第三版

ただし5億円の費用と5年の歳月がかかり、区の区議会などでの説明によると移設が終わるまで平和の森小新校舎建設ができない

旧中野刑務所正門の保存運動をしている「平和の門を考える会」(中野区)が情報公開請求で2020年1月に入手した「学術調査報告書」全文は、下記ツイートのリンク先参照。

さて、教委の「意見書」は、門の移設を求めると同時に「平和の森小学校新校舎建設に影響が出ない範囲での保存を条件とする」「場所を移動することとなった場合は、新校舎開設時期に影響が生じないように」としている。しかし門の移設と、新校舎の建設が遅れないようにするのを両立させるのは、「学術調査報告書」の記載を前提とすれば不可能だ。ちょっと意味が分からないんですけど。

 

 

 

統合校である平和の森小学校の新校舎は、2004年の時点では、2013年度に同小の位置で開設するとされた(参考)。その後、新校舎は同小の位置に2011年度開設ということで準備が進んだ(参考)。
しかし2008年中野区は、新校舎を同小に隣接する法務省矯正研修所移転後の跡地に建てる計画を決定した(参考)(参考)(参考)。この計画では平和の森小は2016年度には新校舎に移れる筈だったが、予定地である国有地の中野区への売却が、主に国側の事情によって大幅に遅れ、2020年現在に至るもいまだに土地取得すら実現していない。
2011年度に統合された平和の森小は現在、児童数が区の見通しより多くなり、仮校舎や仮校庭を作ってしのいでいる有様だ。学区はJR中野駅周辺を含む広い範囲のため、中野区がすすめている駅周辺大再開発で今後さらに児童が増えるとみられる。
平和の森小の建て替えが地元と区において大きな問題となっている所以である。

 

「学校予定地以外」とは

平和の森小学校の移転後の敷地面積の問題については、中野区は2018年12月、一旦は、予定地西側の「まちづくり用地」を平和の森小移転予定地に組み入れることで解決されるとして門の現地保存を決定していた。詳細は下記記事参照。 

一方、上記「学術調査報告書」が曳家案で検討した門の移設先は、元の位置から西へ100メートル、中野区が2018年12月に学校移転用地に組み入れると言明していた「まちづくり用地」内である。教委の意見の「学校予定地以外」とは、件のまちづくり用地のことなのかそれよりさらに外なのか。

 

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中野区「旧中野刑務所正門学術調査報告書」の「曳家工事概要平面図」

 

教委は「まちづくり用地」を平和の森小移転予定地に組み入れることについて2018年12月4日の臨時会で了承している(議事録は区ウェブサイトには掲載されていない)。この時の教育委員4人は現在と同じだが、入野教育長就任前で、教育長は空席だった。
仮に「学校予定地以外」が、まちづくり用地ではないどこかを指しているとしたら、教委の今回の「意見」は、これまでの中野区の議論を通じて一度も具体的に検討されていないことを主張している。
そして「西へ100メートル」以外への移転は、距離も長くなり、公道または都下水道局通路を渡る必要があるかもしれない。時間も金もさらにかかる可能性が高い。その場合「曳家」は移設方法として使えないかもしれない。その検討をする時間もかかり、平和の森小建て替えはさらに遠くなる。

 

報告や協議は非公開だった

9月4日の意見に先立つ8月21日、教委は定例会で、文化財保護審議会の答申について中野区区民部区民文化国際課から報告を受けた。入野教育長は、「意思決定の過程にある案件であることから意思決定の中立性を確保するため、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第14条第7項の但し書きの規定に基き」非公開を提案、教委は「異議なし」で賛成し、傍聴人は追い出された。

法令で原則公開と決まってる会議を「意思決定の過程にある案件」という馬鹿げた理由で非公開にしていいのか。教育委員会はたいてい意思決定の過程にある案件を話し合うのだから、何でも非公開にできる。そもそも会議は「意思決定の過程にある案件」を話し合うものではないのか。

8月21日に傍聴人を追い出す前、永田教育委員会事務局子ども・教育政策課長(子ども教育部子ども・教育政策課長)は、次回8月28日に予定されていた教育委員会定例会を休会とすると述べた。28日は19時開始のいわゆる「夜の教育委員会」で、普段昼間に行う教育委員会定例会を夜に行うのは、多くの区民が傍聴できるようにとの趣旨なのだが、それが中止された。

ところが定例会を休会にした同じ28日に、教委は密かに「臨時会」を開き「旧中野刑務所正門の取扱いにかかる意見について」(子ども教育部子ども・教育政策課)を協議していた。28日の教育委員会は「休会」とされ、臨時会は予告なしに開かれたため区民は誰も知らず傍聴できなかった。

中野区議会の小宮山たかし区議(無所属)は、教委が報告を非公開で受けたことと、定例会を休会にしわざわざ臨時会を開くことで区民が傍聴できないようにした件について、9月11日午後の区議会本会議一般質問で取り上げると、ブログで予告した。

 

中野区文化財保護審議会の答申

中野区教育委員会は上述の議決に先立ち、中野区文化財保護審議会から7月30日に答申を受けている。この答申の全文も末尾に貼った。

答申で特筆すべきは「曳家を選択する場合はその理由を明確にし、真正性を重視し旧中野刑務所敷地内で保存する」としている点だ。

より詳しくは「別記」で「新設される学校の設計との関係や、様々な条件から、やむなく曳家を選択するに至った場合は、その理由を明確にした上で、施工に際しては、常に真正性を保つことが大切である。また、少なくとも旧中野刑務所敷地内での保存を図り、旧位置に何らかの表示をすることが必要である」としている。

門を移設すべきとの教委の「意見」は「答申を踏まえ」て作成したとしているが、文化財保護審議会の答申は、曳家(移設)を勧めていない。「答申」に「現地保存」の文字はないが、「創建時の状況を尊重し、技術・意匠に損傷のない形で復原し、さらに補修を施し保存する」という文言は、現地保存を前提とする表現である。

 

傍聴問題

なお中野区が文化財保護審議会の傍聴を頑なに拒否している問題は下記記事参照。続報はしばしお待ちください。

 

中野区教育委員会の意見全文

(赤字と下線と青字は筆者による。青字は注を参照)

第41号議案

「旧中野刑務所正門」の取扱いにかかる意見について

上記の議案を提出します。

令和2年(2020年)9月4日

提出者 中野区教育委員会教育長 入野 貴美子

(提案理由)
区が購入を予定している旧矯正管区用地に存する旧中野刑務所正門にかかる文化財的価値並びに保存及び公開又は平和の森小学校新校における良好な教育環境の確保について、区長から意見を求められたので、意見を申し出る必要がある。

「旧中野刑務所正門」の取扱いにかかる意見について

令和元年12月19日に中野区長から、区が購入を予定している旧矯正管区用地に存する旧中野刑務所正門の取扱いにかかる意見聴取が教育委員会に対して行われた。
これを受け、令和2年1月16日に中野区文化財保護審議会に諮問を行い、同年7月30日付で中野区文化財保護審議会から、別紙のとおり「中野区文化財保護審議会への諮問について」が答申された。
ついては、この答申を踏まえ、「旧中野刑務所正門」の取扱いにかかる意見を提出する。

1 文化財的価値について

近代の新たな建築様式を模索し始めた明治末期から大正期の建築物であり、わが国の煉瓦造建築の技術的・意匠的到達点を示すものとしても重要と考えられる。
また、関東大震災第二次世界大戦の戦災をくぐりぬけ残されたことも、地域の近代遺産として価値があると考える。

2 保存のあり方について

創建時の状況を尊重し、技術・意匠に損傷のない形で復原・補修し、保存することを検討することが望ましい。また、耐震補強を行う場合は、文化財的価値を損なわない工法で行う必要がある。
ただし、平和の森小学校新校舎建設に影響が出ない範囲での保存を条件とする。

3 公開のあり方について

文化財保護法の趣旨を鑑みると、随時見学できるような公開活用を図るとともに、できる限り正門内部空間の有効活用も検討することが必要と考える。また、建物が一望できる十分な面積を周辺に確保し、用地内を整備することが望ましい。
なお、公開に当たっては、平和の森小学校新校舎における教育活動に影響が出ないよう安全性に十分配慮されたい。

4 平和の森小学校新校における良好な教育環境の確保について

旧中野刑務所正門を現在の場所で保存及び公開することになると、新校舎を建設するための校地面積及び地形が確保できず、当該用地内で適切な教育活動を遂行することが難しくなる。
また、旧中野刑務所正門の保存及び公開の場所は、真正性を失わない範囲で、学校予定地以外で確保されたい。
なお、場所を移動することとなった場合は、新校舎開設時期に影響が生じないように配慮を求める。

5 その他の要望事項について

平和の森小学校新校舎竣工までの期間において、引き続き狭小な当該校校庭を補完するための場所の手当など、良好な教育環境確保への配慮を求める。

 

注) 2020年9月4日の教育委員会定例会で、提案された文案(教育委員会事務局が起案)に入っていた「安全性に」は渡邉委員(医師)の発言により削除された。「及び地形」(じがた)は入野教育長の発言により追加された。

 

中野区文化財保護審議会の答申全文

(赤字と下線は筆者による)

令和2年7月30日
中野区教育委員会
教育長 入野 貴美子 様
中野区文化財保護審議会
会長 大石 学

中野区文化財保護審議会への諮問について(答申)

令和2年1月16日付31中区文第883号で諮問をお受けしました、旧中野刑務所正門の文化財的価値並びに保存及び公開について、審議いたしました結果、意見をとりまとめましたので、中野区文化財保護条例第18条の規定に基づき、下記のとおり答申します。

1 文化財的価値

明治前・中期の西欧の模倣から脱却し、近代の新たな建築様式を模索し始めた明治末期から大正期の建築物であり、また、わが国の煉瓦造建築の技術的・意匠的到達点を示すものとして極めて重要である。関東大震災第二次世界大戦の戦災をくぐりぬけ残されたことも、地域の遺産として貴重である。

2 保存のあり方

創建時の状況を尊重し、技術・意匠に損傷のない形で復原し、さらに補修を施し保存する。また、必要があれば、文化財的価値を損なわない工法で耐震補強を行う。
なお、曳家を選択する場合はその理由を明確にし、真正性を重視し旧中野刑務所敷地内で保存する。

3 公開のあり方

文化財保護法の趣旨に鑑み、随時見学できるような公開活用を実現する。できる限り正門内部の空間も有効活用する。その際、最も重要な正面と背面及び側面が一望できる十分な面積を建物周辺に確保し、用地内を整備することが不可欠である。

4 保存公開の留意点

保存と公開を一体としてとらえ、別途、保存活用計画を検討すること。

詳細は別記参照


別記

1 文化財的価値

(1) 設計者 後藤慶二について

後藤慶二 (1883~1919) は、1909(明治42)年に東京帝国大学工科大学建築学科を卒業後、司法省営繕課司法技師となり豊多摩監獄の設計を担当した。若い頃より洋画の美術団体である白馬会で学び、俳句雑誌「ホトトギス」同人として詩歌にも長じ、能・歌舞伎にも造詣が深い、多才な建築家であった。建築史上、近代建築運動のキーパーソンの一人として評価されている。特に、建築設計を芸術の域に導くために、構造と意匠の関係の考察を深め、当時、導入され始めた鉄筋コンクリート構造研究の先駆者ともなった。構造力学と芸術性の追究は、後の建築動向に大きな影響を与えた。しかし、35才で早逝したこともあり、作品は少なく、この正門は後藤の設計による唯一残された作品である。

(2) 建築史上の位置づけ

わが国の近代建築は、ジョサイア・コンドルら外国人の指導のもと、辰野金吾・片山東熊ら第一世代が西洋建築技術を吸収し実践したことに始まる。
彼らの指導を受けた後藤慶二ら第二世代の段階では、習熟した技術に加えて、20世紀初頭にはじまる鉄骨造や鉄筋コンクリート造などの新技術の台頭により、新たな表現形式の模索が始まった。これにより近世末期にわが国に導入された煉瓦造建築物は、新しい方向性が試行されるようになった。豊多摩監獄本館は、その萌芽ともいえる作品だが、現存しない。幸い残されている正門は、この頃の新しい表現形式の意匠・技術を伝える唯一の遺構といえるものである。
また、煉瓦造は、関東大震災を契機に、以後ほぼ採用されなくなったことを踏まえると、旧中野刑務所正門はその最終段階の貴重な例といえる。

(3) 技術・意匠について

イギリス積という西欧技術を採用しつつ、覆輪目地という、現在では失われた日本の化粧技術を駆使した仕上げの建物である。正面開口部上部はアーチ状にデザインされ、煉瓦の長軸を半枚ずつずらして段状に仕上げ、重厚感を演出している。北側開口部両側支え柱の斜め部分は楔形に製作された特注の煉瓦を交互に重ねることにより造作されている。全体的に緻密な作業を施し、丁寧な施工に日本の高度な職人の技が窺える。鉄筋コンクリート導入期に建設された、最終段階の煉瓦造建築である。
このように、わが国の煉瓦造建築の技術的・意匠的到達点を示す建造物として、極めて重要である。

(4) 地域の近代遺産

周辺地域には、国指定名勝哲学堂公園、国登録有形文化財旧野方配水塔などの文化財が存在する。これらは、戦災をくぐり抜け、保存されてきたもので、近代日本の発展を象徴する文化遺産として貴重なものである。旧中野刑務所正門は、これらとともに、地域の近代遺産として大切にし、保存活用を図る価値がある。

(5) 日本の行刑制度との関係

付帯する歴史的価値としては、正門が属する旧中野刑務所が、1910(明治43)年から1922(大正11)年までの豊多摩監獄時代には、わが国初の「階級処遇制度」を導入し、1922(大正11)年から1946(昭和21)年までの豊多摩刑務所時代には「職業訓練」、1957(昭和32)年から1983(昭和58)年までの中野刑務所時代には「分類センター」「職業訓練所」など受刑者の更生に重きを置き、わが国の行刑制度の先駆的・指導的な役割を果たしてきたことも重要である。

2 保存のあり方

(1) 前提となる条件

文化財として恒久的に保存していくことが望ましい。ただし、現在の門の地盤面は創建期よりもかさ上げされており、現在の地上面より建物全体が55cm下に沈んだ状況となっている。そのため、建物の維持のために良好な湿度維持と雨水処理が求められる。十分な周辺管理用地の確保とともに、周辺地面を掘り下げたり、あるいは、建物全体を持ち上げ、当初の景観を復原するなどの方策が検討されなければならない。さらに、修理復原と耐震補強、周囲の安全性の確保が必要である。

(2) 修理復原・耐震診断について

修理復原については、部分改修はあるものの、大きな改変は認められない。このため、創建期の部材が良く残存し、後藤慶二の設計意匠はそのまま保存されている。したがって、創建期の状況に戻すことが望ましい。
耐震補強については、調査の結果、経年による破損や歪み、傾きはほとんど確認されず、現状変更を極力軽微にし、かつ効果的な方法を採用することが課題である。

(3) 曳家を選択する場合の留意点

新設される学校の設計との関係や、様々な条件から、やむなく曳家を選択するに至った場合は、その理由を明確にした上で、施工に際しては、常に真正性を保つことが大切である。また、少なくとも旧中野刑務所敷地内での保存を図り、旧位置に何らかの表示をすることが必要である。

(4) 修復・耐震補強検討会議体と記録保存

修理復原、耐震補強、もしくは曳家の実施にあたっては、建築、耐震の専門学識者を構成メンバーに含む会議体を設け、逐次、検証しつつ進行することが重要である。
大正期の煉瓦造建築物の修復は、その希少性から今後の近代建築物の保存・修復の指標ともなる可能性が高く、工法などに専門的関心が寄せられることが考えられる。そのため、その作業過程を映像で記録して、残すとともに、記録を有効活用することが必要と考えられる。

3 公開のあり方

旧中野刑務所正門は法務省矯正管区研修所敷地内に存在していたこともあり、重要な歴史的建造物でありながら、建築に携わる専門家以外、一般に知られる状況ではなかった。
したがって、今後は文化財保護法の趣旨に鑑み、広く公開活用をすることが益々必要である。関連して、建築基準法の適用除外については、文化財指定をしていることが条件となる。
また、建物の四面が目視でき、映像媒体等による撮影が可能であることも必要である。特に正面観はこの建築物の価値を象徴している部分であり、これらを勘案すると門の保存と公開のためには、少なくとも周囲東西約41m、南北約39mの用地確保が望ましい(図参照)。
公開については、随時見学可能とすることが望ましい。この場合の見学とは四方の外観を見ること、正門内部も必要に応じて入室可能とすることである。

加えて、見学のための場内整備や防災設備、解説板の設置といった環境整備、パンフレット作成や区ホームページでの紹介など、広報活動も重要である。

4 保存公開にあたっての留意点

保存と公開については、別々に捉えるものではなく、一体とする検討が必要である。保存活用計画を策定し、上記の場内整備や活用方法、整備年次計画などを含め、今後の取扱いについて、区の具体的方針を明確化することが求められる。

参考文献

『旧中野刑務所正門学術調査報告書』中野区区民部文化・国際交流課発行, 2019(令和元)年

『中野のまちと刑務所』中野区企画部発行, 1984(昭和59)年

 

旧中野刑務所正門 保存・公開必要面積

①正門本体…106.8㎡
(幅13.27m×奥行き8.05m)

②縁石植込...237.6㎡
(幅18.07m×奥行き13.15m)

③保存·公開必要面積...1548.4㎡
(幅40.27m×奥行き38.45m)

 

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(筆者友人がカラーで再現した「答申別記」末尾の図「保存・公開必要面積」)

 

門の保存に必要な土地の大きさ

文化財保護審議会が、門の保存と公開のために「必要」としている「40.27m x 38.45m」を、地図上に表示してみよう。 結構大きいから、気軽にどこにでも移転できるわけじゃないことが分かる。

 

追記) 中野区はその後ホームページの「令和2年教育委員会会議録」で、9月4日の「意見」を公開した(リンク)。中野区議会での報告前に中野区教育委員会で議題となった案件が、区議会報告前にウェブ公開されるのは異例。しかし可決された議案なのに(可決)を書き忘れているけど、大丈夫ですか。 

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つづきの記事

文化財保護審議会傍聴問題の続報はまだしばしお待ちください。

 

 

(中野非公式通信)

 

 

旧中野刑務所正門の記事やまとめ

 

 

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