概要
(1) 2020年9月、平和の森公園内で中野区立総合体育館の竣工式が開かれた。豊かな樹木と広々とした草地が親しまれていた同公園は、1万7000本以上の木が切られ、運動場が拡張され、300メートル陸上トラックが敷設されて、変わり果てた姿になった。今回の式典はそれに加え、巨大な体育館が作られたのを記念して開かれた。
(2) 竣工式後の体育館内覧会で見て気になった点。
(3) 1980年代、中野刑務所の跡地に平和の森公園が作られた。中野区議会自民党は跡地を「総合陸上競技場」にするよう要求したが通らなかった。刑務所跡地全体をスポーツ施設にしたい、区議会自民党の40年越しの禍々しい執念について。2020/9/21記
(1) 中野区立総合体育館竣工式
2020年9月20日午前、中野区立平和の森公園(東京都中野区新井)内の中野区立総合体育館で竣工式が開かれた。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、参加者は少数に絞られた。
中野区立総合体育館の竣工式に到着した橋本聖子五輪相。画面中心付近で頭を下げている女性が橋本氏。自民党中野区議団に囲まれている。左側の園内灯の左に写っている横顔の男性は酒井直人中野区長。左端の白っぽい上着の女性は入野貴美子中野区教育長。2020/9/20 9:46撮影
竣工式の式次第。
式次第に「キリンレモンスポーツセンター 平和の森公園 竣工記念式典」と書いてある。キリンレモンスポーツセンターはネーミングライツ(命名権)による中野区立総合体育館の愛称。
平和の森公園は1985年に北側部分が開園、2002年に南側部分(草地広場、最初は芝生広場)が開園した。
中野区立平和の森公園(東京都中野区新井)
— 中野非公式通信 (@nakanocitizens) September 19, 2020
1985/10/1北側部分開園
(画像1枚目1985/9/15付中野区報、2枚目1985/10/15付)
2002/9/3南側部分(草地広場、当初は芝生広場)開園
(画像3枚目2002/9/1付なかの区報、4枚目2002/9/15付) pic.twitter.com/BDYxs0aK68
今回の式典は、残りの部分に体育館などを作って、平和の森公園全体が竣工したという趣旨なのである。
中野区議会の議員らのツイートと写真、および報道によると、式典はこういう感じだったようだ(まとめに関係箇所の見出しあり)。↓
同体育館は9月中は内覧会や無料開放。開館は10月1日の予定。
なお、同体育館の竣工日は7月31日。工事は新型コロナウイルス感染拡大で遅れたことになっているが、その前から遅れていた。工期延長を繰り返し紆余曲折を経た、竣工までの経緯は下記参照。↓
式典縮小
自民党と公明党(ともに現中野区議会では野党、田中大輔前区長の頃は与党)は、新型コロナ禍以前はしきりに盛大な竣工記念イベントを主張していた。コロナ禍のため式典は規模縮小、オープニングイベントも中止となった。
2020年7月30日の中野区議会厚生委員会で中野区は竣工と竣工式などの予定を報告し、もともとは式典の参加者として500人を想定していたが新型コロナ感染防止のため100人程度に減らす、と説明した。
ここは争いの地
この時の厚生委員会では、公明党議員でさえ、新型コロナ終息が見えない中で100人規模の式典を開くことはどうかと懸念を示した。しかし自民党は、若林しげお区議が「300メートルトラックやバーベキューサイトも合わせ、中野区のスポーツ拠点となる大切な施設」だの体育館開館イベントの告知は「区報1面にドーンと出せ」だのと、ひとりではしゃいでいた。
2015年に田中前区長によって突然発表された平和の森公園内への体育館建設と平和の森公園のいわゆる再整備は、住民の激しい反対を押し切り強行された。2018年に少年野球場が拡張され、不必要に広い「多目的運動広場」となった。2020年春に300メートル陸上トラックと100メートル走路が作られ、住民の憩いの場、子どもたちの貴重な遊び場だった草地広場は分断され、事実上半分に削られた。その際、工事支障木として計1万7000本以上の樹木が切られた。
今回の式典は、いわば "争いの地" において執り行われた儀式だった。もしかしたら中野区は、式典の人数を少なくできてほっとしたんではないかと推測している。
開館イベントは中止
中野区立総合体育館は、もともと2020年6月20日に、開会式とそれに引き続き1500人規模のオープニングイベントが開かれる予定だった。そして7月からは東京五輪とパラリンピックの卓球公式練習場に使うことになっていた。
区はオープニングイベントの受託事業者を募集していたが、結局中止となった。選定は3月下旬予定、オリパラ延期発表は3月24日だった。
下は幻のオープニングイベントの仕様書だ。↓
酒井区長あいさつ
区議会自民党は、体育館の竣工によって平和の森公園に「総合スポーツ施設」が完成したと主張している。
その自民党の主張に酒井直人中野区長が迎合したのかどうか知るため、区長のあいさつ全文を区に情報公開請求している。
区政情報開示請求
2020年9月20日の中野区立総合体育館記念式典における酒井直人中野区長のあいさつ全文。
当該文書が現在のところ不存在であることは承知しているので、読み上げられたあとでの写しの交付を求めます。
公開されたらここ↓に貼る。
10月2日、公開された。
「総合スポーツ施設が完成」という類いの、挑発的な文言はなかった。
キリンレモンスポーツセンター及び平和の森公園は、中野のまちの賑わいを生み出す新たなランドマークとして、区民の方に広く根付き、末永く発展していけるよう、区として管理・運営して参りたいと存じます。
(区長あいさつより)
当たり障りないあいさつだった感じだ。
というか、中野区立総合体育館の建設は、中野サンプラザ解体に至る玉突き再開発の最初の玉だから、まちの賑わい=再開発が捗るという意味かもしれない。
(2) 中野区立総合体育館内覧会で気になった点
竣工式のあと、誰でも参加できる内覧会が9月20日と21日にあり、20日午後の分を見に行った。施設については他の人が書くだろうから、気になったことを記す。(参考までに、下に指定管理者のホームページ↓を貼っておく。)
内覧会のため入場の待機列を作る人々(20日午後)。
点字ブロック
体育館入口のガラスに、剥がし忘れた「施設内の見学はできません。内覧会まで今しばらくお待ちください」という貼紙。それから「体育館敷地内では駐輪禁止」の貼紙もあったが……。
20日午前中の竣工式の間、体育館入口前に関係者の自転車がたくさん駐輪してあった。最初から関係者は特別扱いのようだ。というか、点字ブロックの上に駐輪していいの? 東京五輪だけでなくパラリンピックの卓球公式練習場として使われるはずだった施設なのに、指定管理者や中野区の意識が心配だ。
その後、この場所に指定管理者が「自転車・バイクは指定場所へ」と利用者に向けた注意書きを掲示したのが10月1日に確認された(友人撮影)。
平和資料展示室
1階平和資料展示室。11月にならないと入れないらしい。
中に見えるのは体育館のジオラマのようだ。平和資料展示室は物置ではないのでここに置くべきものではない。展示品がまだ搬入されていないから仮に置いているんだと思いたい。中野区は2020年1月に平和資料展示室について意見募集をしている。そういえば結果がまだ公表されてない。
2020/1/14(火)-27(月)新しい平和資料展示室について意見募集。
— 中野非公式通信 (@nakanocitizens) January 13, 2020
平和の森公園未開園区域で建設中の中野区立総合体育館の中に開設予定。以前あった平和資料展示室は第1工区の工事で解体撤去https://t.co/pnEHu31fTJ pic.twitter.com/aPN1jDf41f
平和資料展示室オープンは11月9日だそうだ。
画像1枚目は2020/9/20撮影の平和資料展示室(平和の森公園内の中野区立総合体育館akaキリンレモンスポーツセンター1階)。
— 中野非公式通信 (@nakanocitizens) September 28, 2020
2-3枚目は9/1区議会総務委員会資料による展示室レイアウトなど。11/9オープンだそうだ。
4枚目、9/17指名競争入札で施工は株式会社ムラヤマ(江東区)895万円 pic.twitter.com/dW1F7G4j3I
その後の平和資料展示室については下記まとめ参照。
ユニバーサルデザイン?
1階メインアリーナ(=主要な体育スペース)。
メインアリーナの床に赤緑など色とりどりの線。ユニバーサルデザインには配慮しているのだろうか。
走路ばかり作ってどうする
メインアリーナの2階観客席の後ろに1周190メートル、2時間100円の有料ランニングコース。体育館に隣接した平和の森公園草地広場は、元々ジョギングができる園路があったのに、300メートルトラックやら100メートル走路やらを作った。で体育館には有料走路。どれだけ走路つくるねん。
体育館2階窓から2階テラス越しに見た300メートルトラック。
一般区民を締め出すテラス→その後公開
上の写真手前に写っている、この2階テラスには出られないと指定管理者が言っていた。テラスに出るドアに鍵がかかっている。何のためのテラスなのか。
2階武道場(左)。3階トレーニング用機器とボルダリング用の壁(右)。
3階テラス。
柵が設けられ半分しか入れないようにしてある。柵の向こうのベンチは何のためなのか。
中野区は、区役所屋上もももみじ山文化センターのテラスも、いつの間にか一般区民は入れなくなった。一般区民が入れない区役所屋上に上がったことを、これまでに自民党の加藤たくまなど一部区議が得々とツイートしていたことがある。
体育館のテラスも、最初こそテラスのごく一部、3階北側テラスの東側半分だけは入れるようにしてあるが、きっと一般区民はすぐ締め出され入れなくなるに違いない。
体育館の最初から閉鎖されている外階段。そういえばもみじ山文化センターも外階段が閉鎖され使えなくなっている。
その後、3階テラス西半分(草地広場側)に入れるようになったことを10月18日に確認した。
テラスの真ん中を分断する柵はそのまま。東の方にスカイツリーが見える。
外階段2カ所(9月20日には閉鎖されていた)からテラスに登れるようになった。
入れるようになった3階テラス西側に人が鈴なり。
キリンの命名権の看板と名札と自販機
中野区立総合体育館はネーミングライツ(命名権)を中野区に本社のあるキリンビバレッジ株式会社が買い、今後5年間、年500万円でキリンレモンスポーツセンターという名前(愛称)がつけられた。
ネーミングライツは当初、株式会社ブシロードが年1000万円を提案していたが、辞退した。キリンも当初600万円を提案していたが、値切った模様。
中野区は竣工式に間に合うようバタバタとキリンビバレッジとネーミングライツ契約し、竣工検査のため掛けられていた「中野区立総合体育館」の施設名看板を慌てて黄色い「キリンレモンスポーツセンター」に掛け替えた。
内覧会で指定管理者の一部スタッフは「キリンレモンスポーツセンター」と書かれた黄色い名札をつけていた(写真なし)。
ネーミングライツ契約に関連して体育館内にはキリンの自販機が設置された。
中野区は廃プラスチック削減のため庁内のペットボトル自販機を減らす方針だそうだが、ネーミングライツ契約のため新しい区立体育館内にはペットボトル自販機をたくさん設置した。
中野区立総合体育館ネーミングライツ詳細は下記参照。↓
BBQ機器貸出予定のカフェ
中野区は住民の迷惑を顧ず、平和の森公園のベーべキューサイトを今秋開業する予定だ。バーベキューの機材は体育館内1階のカフェ↓で貸し出すとしている。
バーベキューの焼き場に調理器具や食器類を利用者が持ち込むことは不可、カフェで貸し出す。返却された機材はカフェで洗うことになる。
しかしそのカフェのカウンターの奥の洗い場はこんな感じ。
ワンルームマンションの流しのように小さい。こんなところで油ギトギトのグリル皿とか洗うんだろうか。
平和の森公園BBQ詳細は下記参照。↓
じゃぶじゃぶ池は式終了の途端に再閉鎖
20日午前中、竣工式で閣僚などの来賓が見るであろう間だけ、平和の森公園のじゃぶじゃぶ池から立入禁止のコーンバーが撤去されていた。
式が終わった途端また閉鎖された。笑止。(下の写真は20日午後撮影)
じゃぶじゃぶ池詳細は下記参照。↓
(3) 中野区議会自民党40年越しの執念
平和の森公園は陸上競技場にしたかった
中野刑務所は、中野区と東京都と国との長い交渉の結果1983年に廃止された。跡地は南側など一部が法務省に残り、矯正研修所や公務員宿舎になった。それ以外の部分は、皆が利用でき災害時には近隣住民の避難場所となる中野区立平和の森公園と、東京都下水道局中野水再生センターになった。
1983年11月14日中野区議会本会議で、自民党の川井しげお(当時中野区議、のちの都議)が一般質問で、中野刑務所の跡地利用について、当時の青山良道区長に対し次のように恨み節を述べている。
刑務所解放の特別委員会でわが会派が提案した総合陸上競技場の要望も取り上げてくれず
このような要望は、区議会自民党は以前から持っていた。約40年前の(中野刑務所移転促進調査)特別委員会での総合陸上競技場の要望を、左派の青山区長が「取り上げてくれ」ず、確執が強まった。そのおかげで2002年に何もない広々とした草地の広場が開園したわけだが、区議会自民党は、要望を実現する機会を現在に至るまで窺い続けた。
2018年に平和の森公園の「緑と広場を守る」公約を掲げ、現職の田中氏を破り当選した酒井区長は、2019年、300メートルトラックを作らない工事見直しを一度は区議会に提案したが、否決され、公約撤回した。
田中前区長と酒井現区長、および計画に賛成した中野区議会議員は、みんなが利用できる公園ではなくなること、避難場所としての機能が損なわれることを懸念する住民の反対を押し切って、平和の森公園に陸上トラックを作ってしまった。
陸上競技場は作れていない
2020年4月に利用が開始された300メートルトラックは、公園の草地に柵もなくむき出しで設置されており、全力疾走のランナーとのんびり散歩の利用者が混在して、住民が最初から懸念した通りにトラブルが相次いだ。8月、ついに「ここは陸上競技場ではありません」との立て看板が立てられるに至った。
区議会自民党は、中野区に草地広場を潰し「陸上トラック」を作らせるのには成功したが、実際にできあがったものは悲願の「陸上競技場」ではなかった格好だ。
参考) 新日本スポーツ連盟中野区連盟「平和の森公園整備計画に対する見解」2015年7月29日。中野刑務所が平和の森公園になった経緯が記されている。
法務省研修所跡地もスポーツ施設にしたかった
中野刑務所跡地の一部である法務省矯正研修所跡地は、中野区が区立平和の森小学校の移転用地として取得を予定している。2008年2月4日、中野区議会文教委員会で自民党の大内しんご(当時も2020年現在も区議)は、矯正研修所跡地は学校ではなくサッカー場などのスポーツ施設にする検討をすべきだったと主張した。
区議会自民党は中野刑務所の跡地を全てスポーツ施設にしたいらしい。
なぜそんなにスポーツ施設ばかり
なお、平和の森公園のすぐ西、つまり真新しい巨大な中野区立総合体育館のすぐ近くに、廃校となった沼袋小学校の跡地がある(ここは刑務所跡地ではない)。2011年に沼袋小は野方小学校と統合し、平和の森小学校となった。中野区は田中の計画通り沼袋小の跡地にスポーツ・コミュニティプラザ(=体育館)建設を予定している(注*)。なんでそんなに体育施設ばかり作るのだろうか。正気とは思えない。
*12月、沼小跡のスポーツ施設断念
中野区は12月「区有施設配置の考え方」を公表した。
それによると沼袋小学校跡地に”北部スポーツ・コミュニティプラザ”を併設する計画は断念したようだ。
中野区「区有施設配置の考え方」(2020年12月公表)より。
— 中野非公式通信 (@nakanocitizens) December 21, 2020
沼袋小学校跡地に北部すこやか福祉センター移転。”北部スポーツ・コミュニティプラザ”を併設する計画は断念したようだ。真新しい総合体育館のすぐそばだもんね! また沼小跡は用途地域の関係でスポーツ施設は作れないと区は9月の議会で認めている pic.twitter.com/2gsH0SM8Vz
①平和の森小学校②沼袋小学校跡地③法務省矯正研修所と公務員住宅の跡地④平和の森公園⑤中野区立総合体育館(キリンレモンスポーツセンター)
追記: 中野区の財政難は体育館建設が一因
新型コロナウイルスによる中野区の財政難は、この体育館の建設が一因と酒井区長が議会で答弁した。
酒井区長
この2年間についての財政的な負担というのは、既存の計画である体育館等の大規模な計画の実施に対しての出費というものが非常に大きかったというふうに考えておりまして、決して財政規律を緩めたからということではないと考えております。
いでい良輔(自民)
このような財政的な非常事態は、新しい体育館の建設 や今までの既存の計画にのっとった事業を実際に行っていたからこういった財政的な非常事態を迎えている、それに新型コロナウイルス感染症拡大の影響が大きい、こういった御答弁でありました。この2年間、酒井区長が就任されてから行ってきた施策というものは全て前田中区長の時代の計画を踏襲したから今こういった財政状況になっている、こういったふうにも聞こえてくるんですよね。
(2020/9/10中野区議会本会議。11/6議事録公開)
こりゃ自民党文句言えんわ。だってその通りじゃん。中野区の財政が傾いたのは住民を踏みつけにして作った体育館のせい。因果応報っていうか、胸熱だな。
平和の森公園と中野区立総合体育館の記事やまとめ、情報開示文書など。↓
旧中野刑務所正門の記事とまとめ。↓